石山経麻呂先生の訃報が届いた。

知り合いのギターリストから「石山経麻呂先生が亡くなった」とメールが届いた。

詳細は不明とのことでした。

田舎出身の何も知らない私に、ギターやジャズを最初に教えてくださったのは、石山先生です。

当時の『ギターマガジン』に石山先生の講座が連載されていて、その内容が非常に興味深く、直接習おうと思って入門しました。(世田谷の駒沢に住んでいたけど、教室があった池尻大橋が2駅と近かったのもあります)

先生の連載講座は、確かペンタトニックスケールのコーダルな使い方に関してだったと思います。

今でこそ良い教本が沢山あって(youtubeなどもあるし、、)、

ペンタトニックについても Jerry Bergonziや、Hal Crook はじめとして、素晴らしい教本が沢山出ていますが、当時はペンタトニックスケールをアベイラブルノートスケールの省略形としてコーダルに使うことは国内ではあまり教えられてなかったのではないでしょうか。

先生はミューズ音楽院を辞められて、「Jazz guitar academy 無碍塾」という教室を池尻に開講されたばかりだったと思います。

今でも先生と初めて会った時のことを、はっきりと覚えている。

初めて入会しようと行った時に、「無碍塾」って怖そうな教室だなぁって思って(写真で見た先生もヒゲ生やして怖そうだった、、笑)、マンションのドアの前でためらってうろうろしていたら、中から石山先生がニコニコして出て来られて、迎え入れてくださったのでした。お出かけ前だったのか、先生は気配に気づいてドアミラーで私のことを観察されておられたようでした(笑。

恥ずかしながら、今まで沢山の音楽家にギターやピアノなど他の楽器、音楽に関する事を習って来たけど、、

最初に出会った石山先生に教わったコンビネーションディミニッシュやアルペジオの使い方などが、今も手癖になっていて、フレーズとして出てきます。

先生が「秘伝」とおっしゃって教えてくださった「パターン」が手癖の一つになっています。

だいぶ後で分かったけど、この「秘伝」はウエスやマルティーノのようなレジェンドのみならず、スコットヘンダーソンのようなFusion系、管楽器プレーヤーやピアニストも使っています。単語みたいなものです)

教室には貴重なレコードも沢山あったけど、アランホールズワースの「IOU」、ジョンスコフィールド「Live」、ジョンアバークロンビー「Gateway」、パットマルティーノ「Exit」やジョンマクラフリン「Firebird」、ラリーコリエル「Spaces」、、等の名盤も先生から借りて、好きになったのでした。好きな順番に思い出したけど、全部今でも大好きなプレーヤーです。

また、英語版の教則本が沢山あって、バークリーのモダンメソッドギター、パットマルティーノ、ジョーパスなどの教本、、ジョージラッセルのリディアンクロマチックコンセプトもあったな。

洋書の楽譜は今のようにアマゾンで簡単に買えなかったのです。当時は渋谷の道玄坂にヤマハがあって、その地下に洋書の楽譜が充実していました。それでも注文すると船便で半年位かかった、、高かったし、、。

そんな時代だったけど、先生自身が非常に貪欲でとても研究熱心だったのだ!と今更ながら思います

先生のレッスンだけではなく、あの時期にこうした音源や教則本に出会えたのも貴重な体験だったなと思います。

一方で先生はスーパーギタートリオのような超絶技巧のアコースティックギターの世界にも造詣が深く、そういう嗜好の生徒さん達も沢山居たと記憶しています。発表会とか何回か経験したけど、周りは上手い生徒さんばかりで、僕は落ちこぼれだったな。

、、、こんな事を色々思い出していると、今まで考えたことがなかったけど、、

最初に習った石山先生から教わった事、影響された事が自分の原点、骨格なんだなぁと、、石山さんに出会って人生が変わったんだなと今日改めて思った。 悪い道へ(笑、

石山先生に出会えて私は非常にラッキーだったなと思います。

自分のプロフィールに先生の名前を入れなかったのは訳があるのですが、今はもう関係ないので書き換えました。

先生は私が大学を卒業する前に「無碍塾」をたたまれて、故郷の新潟市内に『ドリーム音楽院』を開校されて、後進の育成やライブ活動を精力的に続けておられました。

10年以上前に一度だけ、仕事で新潟に行った時にわずかな空き時間だったのだけど、先生に会いに行ったことがあります。

『カオル君かぁ〜』と落ちこぼれだった僕の名前も覚えてくださっていて、嬉しかったなぁ。涙

何曲か先生とギター二本でセッションしました。

お世辞だったと思うけど「上手くなったね」と言ってくださって、本当に嬉しかったのを覚えています。

帰り際には「大丈夫です」って断ってもタクシー代だと言ってお札を握らせてくれた、、そんな優しい先生でした。

早過ぎですよ、先生

そんな先生になんの恩返しも感謝も伝えられずに、、本当にダメだな、、

石山経麻呂先生のご冥福をお祈りいたします。

石山先生、ありがとうございました。

2019年3月14日 追記 先生の写真を見つけた。

タバコを持っているのが先生。私は一番左下、顔半分です。

これは無碍塾での生徒の発表会の打ち上げ、一次会終了直後のシーンだな。

新宿の居酒屋で、先生は「じゃぁ次、飲みに行く人〜」って感じだったと思う。

自分はまだ学生だった。

石山先生とちゃんと向き合って、お酒をもう一度飲みたかった。

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“石山経麻呂先生の訃報が届いた。” への2件の返信

  1. 自分も石山先生に習ったものです。確か1980年代のあたまで。。
    無碍塾が出来たばかりの頃でした。。
    石山先生がなくなったと ここで知り。。。
    驚いています。。。とてもいい先生でしたよね。。
    卒業して以来 会っていなかったので残念です。。
    数度メールでやり取りを したのですどねえ。。

    1. 新型コロナですかっり生活が変わってしまい、ブログも全然更新できず、お返事遅くなって失礼致しました。

      そうでしたか、、。
      中嶋様は私より歳上の方かもしれませんね。
      私は先生が当時ギターマガジンに連載されていた講座(確かペンタトニックをコーダルに使う方法でした)を読んで興味を持って入会しました。1982、3年でしょうか、、。
      たぶん袖振りあっているかもしれませんね。

      先生はもともとMUSE音楽院で教えられていたのですよね。
      名前は忘れましたが、、当時の生徒さん、、靴屋さん、タクシーの運転手さん、空手をやっていた若い子とか、、あとは私と同期の大学生の知り合いが多かったです。
      私は86年くらいまでお世話になりましたが、無碍塾自体がゴタゴタして分裂したかと思います。

      石山先生が新潟に帰られてからはあまり連絡をとっていなかったのですが、随分後で新潟でお会いした時は本当にお元気で、昔と全然変わらないイメージだったのを記憶しています。

      先生にはギターだけでなく、宗教にも入信させてもらったり(合わずにすぐ脱会しましたが、、笑)、いろいろ悩みを聞いてもらってお世話になりました。
      西荻窪だったかなGoodmanというお店に何度かライブも見に行ったりしました。(あまりにも高度で当時の自分にはあまり理解できませんでした。笑)

      本当に先生が若くして亡くなられて残念でなりません。
      いつか同窓会みたいな先生を偲ぶ会があれば良いのになぁ、、と思っています。

      中嶋さんありがとうございます!

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